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トップ>達人紹介コーナー>アメリカ映画>第1回 です。

達人紹介コーナー


アメリカ映画史を語るのに、無声映画時代を忘れてはならない。英語でMOVIE、日本語なら活動写真が一般に上映されるようになったのは1900年代、大正初期頃である。もちろん当時の映画は無声映画で、画面の間々に英語の字幕が出てストーリーが進行する形式のものでアメリカではピアニストが画面の進行に合わせて悲しいメロディーや、活劇の時にはテンポの早いメロディーを弾いて観客を映画の中に引き込んでいった。

日本では弁士なるものが舞台の横に備えて画面の進行に合わせて「メリーはジャックに助けられたのである」といった名調子の台詞で物語の解説を観客に伝えた。当時の弁士達は大変なインテリが多く、松井翠声の様に英語が堪能で英語の字幕を自分で日本語に訳して語ったり、徳川夢声の様に名調子で観衆を魅了した弁士達が沢山いた。

当時のアメリカ映画無声映画の名俳優といえば自作、自演、監修を一人でこなしたCharlie Chaplin(チャップリン)を忘れることができない。チャップリンは有声映画(トーキー)時代になっても後世に残る何本かの名作を作ったが、1950年代アメリカで吹きまくった赤狩り旋風に追われて長年住み慣れたアメリカを去り、スイスに渡って生涯を終わった。チャップリンが1952年に作ったLimelightもそのためアメリカで放映されず、やっと1972年になって放映が許されてチャップリン作の主題歌がその年のアカデミー音楽賞最優秀作曲賞を受賞している。チャップリンの代表的無声映画といえばThe Gold Rush(1925年作)、The Circus(1928年作)(チャップリンはこの作品で第1回アカデミー名誉賞を受賞)等を忘れる事ができない。トーキー時代になってからもチャップリンは白黒で作品を作り続け、Modern Times(1936年作)、The Great Dictator(1940年作)、Limelight(1952年作)、A King in New York(1957年作)等の名作を残している。

無声映画の俳優として他に忘れることができないのはチャップリンと同様喜劇俳優として知られたBuster Keaton、Harold Lloyd等である。また、無声映画時代の美男俳優で当時の女性の心を捕らえたRudolph Valentinoと早川雪舟を忘れてはならない。これらの俳優もトーキー到来と共に消えてなくなった。尚、早川雪舟は後年1957年作のThe Bridge on the River Kwai(戦場に掛ける橋)に日本軍の将校役で出演していることを申し添えておきます。

第1回アカデミー賞が1928年に発足したが、当時のアカデミー賞委員会は当然のことながら、無声映画を対象に審査基準を作っていたので、1927年に最初の有声映画(トーキー)The Jazz Singer(主演のAl Jolsonが歌う場面だけが有声でその他の場面は無声映画と同様英語の字幕が出る無声作品だったが、委員会としてはどのように取り扱うかなかなか決まらず、結局The Jazz Singeを無声映画と比較するのは不公平だとの理由で審査対象から外されてThe Jazz Singeの映画作成会社のWarner Brothersにアカデミー名誉賞を与えることで決着をつけることになった。トーキー映画が出てきたことでハリウッドは大変な騒ぎとなるのだが、それについては第2回の有声映画時代の到来でお知らせすることにします。
     

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